名工といわれた真壁の作といわれています。棹は細目です。天は中元から曲がり、糸蔵が短くなっています。三線の型のなかでもっとも優美といわれています。
「開鐘」とよばれる名器は、真壁型に限られています。夜明けにつく寺院の鐘のことを開鐘(あるいは開静鐘)といい、夜明けの鐘は遠くまで響きわたるので、それにちなんで、真壁型のすばらしい音色をもつ三線のことを「開鐘」と命名したと伝えられています。宇根雲上型は、真壁型に属します。
~出典「沖縄の三線」より~
真壁と同時代の人だといわれる、与那城の作と伝えられています。通常「ユナー(与那)」と称しています。棹は太目です。野面が糸蔵の端まで一直線です。天は糸蔵の先から曲がり、範穴はやや下方に開けられています。糸蔵は長く、鳩胸も大き目です。
この型は、小与那城型、佐久川の与那城型、鴨口与那城型の四つに分かれます。
~出典「沖縄の三線」より抜粋~
1710年、三絃匠主取に任命された知念の作といわれています。太棹です。天の曲がりは大きく、中央にかすかに盛り上がった稜線があります。天面も広いです。
天と鳩胸は盛り上がっており、野坂は短く、野丸は丸味をおびています。野丸から鳩胸にかけて、中央には天面同様かすかに稜線があります。
~沖縄の三線より抜粋~
この型は、小与那城型、佐久川の与那城型、鴨口与那城型の四つに分かれます。江戸与那の心の側面には大小三つの穴が穿てあります。
もっとも古い型といわれています。南風原という名称は、「玉陽」の1710年の記事に「住昔の世、素、三絃有り。未だ何れの世にして始まるかを知らざるなり。近世に至り、南風原なる者有り。善く三絃を製す。...」とあり、三線作りの名工「南風原」の名に由来します。
棹は細目で、天の曲がりが少なく、野坂は大きく曲がり、野丸は半円形です。野丸と鳩胸の区別がほとんどできません。この型は、拝領南風原型、翁長親雲上型の二つに分かれます。
久場春殿の作といわれています。棹がもっとも細く、久場春殿型とは対象的です。南風原型をひと回り小さくしたような感じです。野丸と鳩胸の区別がほとんどできません。
横から見ると、クバ(ビロウ)の葉柄に似ているところから、この名がつきました。